どうも。ハナキノボル(@novl_h)です。
先日、サマソニ行ってきました。人生史上最高の1日だったと思います。はしゃぎすぎて、最後の方は立ってることもままならない状態までなりました。笑
1日で9アーティストほど観たんですが、欲張りすぎました。反省してます。サマソニのレポ的な記事はいつか書こうと思います。が、ちょっとヘヴィな予感がするので、また今度にします。
洋楽とか邦楽とかロックとかロックじゃないとか、そうゆうのじゃないんだよね。
今日は、ライブを一緒に行った、友人の一言から始まった「僕の頭の中での論争」をモヤモヤするのでブログに書き殴ろうと思います。
友人の一言
その友達の一言はこれ。
あれだよね。ロックとかロックじゃないとかじゃないよね。昔はあったけどそうゆうのもうないよね。
確かこんな感じのフレーズだったと思います。その時は、「ほーん」ぐらいの感じで聞いていたんですが、ここからいろいろ僕の思考はスタートするのでした。昔から、一度考え出すとひたすら頭の中の自分と会話しまくる性格なので、自問自答を繰り返しました。
まずこの一言って何が言いたかったのかって言うと、
昔は、ロックじゃないと聞かない!というような意地みたいなのがあったけど、今はそうゆうの関係なく聞いてるよ
ってことだと思うんです。
で、僕もすぐに思いました。「あぁ、なんとなくわかるわ。それ。笑」と。
ジャンルとかそうゆうんじゃない
なんか昔はすごいそうゆうのがあったように記憶しております。
これはロックだろ!とかこれはロックじゃねぇよ!みたいな感じの考えが。笑
それで聞きもしないのに、あんなのは糞だよあんなポップ聞いてらんねぇよ。みたいな感じの今考えればお恥ずかしい厨二病丸出しの時期が…
ただ幸い、僕の場合、この厨二病はなかなか早い段階で椎名林檎さんの言葉で吹っ飛びました。
ロックだとかロックじゃないとか言ってるお前が一番ロックじゃねぇよ。/ 椎名林檎
って言葉です。はい、超強烈ですよね。笑
でも本当にこれで「ハッ」としたというか、なんか目が覚めた感じはしました。
音楽にはいろんなジャンルがありますよね。昔に比べてジャンルの数はめちゃくちゃ増えました。なんでも、細かくジャンルを切っていくと数百になるとか。「ジャンル」の概念自体が崩壊しつつあると思います。
同じアーティスのなかでも、この曲は〇〇っぽいよねぇ。でもこの曲は△△だよね。みたいな。なんやねんそれっつって。
だからそうゆうジャンルどうこうで聞く聞かないを決めるのはアホらしいですよね。
食わず嫌いならぬ、聞かず嫌い
でも、音楽だからもちろん「好き、嫌い」はあると思います。
僕にもあります。これはなんかちょっと好きくないな、チゲェエな、みたいなやつ。
でも、この「好み」という概念が、こと「音楽」に関してはかなりやっかいだと僕は思っています。というのも、「好み」云々の前に、「聞かなきゃ好きになるはずない」んですよ、ということ。
食べ物で例えるととてもわかりやすいんですが、「食わず嫌い」ってありますよね。簡単に言えば、それの音楽版。つまり「聞かず嫌い」。まぁそもそも、届いてない(存在すら知らない)っていう前提があるかもわかりませんが、それにしても「聞く前から自分には合わない」と判断してしまっている場合も少なくないんじゃないかなって思ってます。
洋楽だから、英詞だから、ポップだから、ミドルテンポだから、ギター歪んでないから、横揺れだから、ヘドバンできないから…
みたいな感じです。
聞く聞かないなんて、その人の自由なので、特段こちらから言えることはないのですが、なにかとても残念で仕方がないのです。
というのも、僕自身これのせいで多くの機会損失を経験してきました。もっと早く「〇〇だから聞かない」とか言わず素直に聞いとけばよかったと何度後悔したことか。
百聞は一見にしかず、と言いますが音楽も同じで聞いてみないとわからないですよね。
聞いてもわかんない件。
で、さらにいろいろ考えてくと、ここに行き着くのでした。
聞かず嫌いではなく普通に「聞いてもわかんない」っていう問題です。洋楽やマイナーミュージックって特にそうですよね。
僕も、聞いてもよくわかんねぇ音楽ってよくあります。これは音楽に限らず「芸術」全般に共通することです。
例えば、村上隆さんの絵とか作品ってアート初心者が見たところで何がいいかわからんですよね。でもプロが見ると違ってくる。
参考
村上隆さんの「芸術起業論」ではこんなことが書かれていました。
なぜ日本の人たちが、現代美術が嫌い、現代美術がわからないと言うかというと、わざわざコンテクストを知的に理解しなければならないアートなんてアートではないと思っているからです。アートというものはそういう高尚ぶったお勉強のできる人の柚木ではなくて、誰にでもわかる=”自由なもの”であるべきだと、皆思っているのですね。「アートは自由に理解するべきだ」これはほとんど信仰に近いものがあります。
ここでいうコンテクストとは、そのアートが誕生するまでの前後の文脈や歴史、経緯、意図などの事ですね。
これを読んだ時に、「あぁこれ音楽でも同じ事が言えるな」と思いました。
このコンテクストを知的に理解できるかできないかで次の段階に行けるかどうかが決まりますよね。
基本的に日本人は日本の文化や教育上、コンテクストを理解したり、知ろうとする習慣があまりないんです。
もちろん、そういった事を知る必要もない「わかりやすいもの」にも素晴らしいものは多くあります。ただ、一見「わかりにくいもの」もコンテクストを知ることでその良さを知る事ができたりします。
僕もまだまだ勉強中ですが、このコンテクストへの理解を習慣づける事で日常の生活が変わりました。
同じモノを見ていても感動の深さが違います。
どうせ同じモノを見るなら、より多くの「何か」を受け取りたい。そん方は、「コンテクストを知ろうとする習慣」を取り入れてみるのもアリかもしれません。
で、結局何?
最後に、
「洋楽とか邦楽とかロックとかロックじゃないとか、そうゆうのじゃないんだよね。」
じゃぁなんなの?
っていうところですが、ちょっとアジカンゴッチの言葉を借ります。
邦楽とか洋楽とかそういうのの垣根がぶっ壊れて、音楽は音楽として楽しめるような時代が来たらいいな、と思います。/後藤正文
ずいぶん前にゴッチがNano-mugenフェスで言ってた言葉なんですが、最初はこれあんまり意味がわからなかったんですよね。「いや、普通に楽しめてるよ」と思ったんですよ。
でも、なんとなく今ならわかるというか、確かにそうだな、と思いまして。
先ほど言った通り、どこかで誰しも何かしらの線引きをして聞いてるわけです。そうじゃなくて、そんな線引きしないで、「良い音楽」なら「良い」と受け入れて、素直に「楽しもうよ」ということだと。そういう意味だと、勝手に解釈しました。
この解釈が正解かどうかは別として、僕もイチ音楽ファンとして、いろんな垣根がぶっ壊れて素晴らしい音楽が素直に浸透していく世の中になればと思ってます。
このブログもそのはじめの一歩になればなぁなんて考えてます。それでは、最後まで読んでいただきどうもありがとうございましたm(_ _)m
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