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上映中のインド映画『PK』 を観て、洗脳の恐ろしさをあらためて感じた。

どうも。ハナキノボル(@novl_h)です。

ちょっと前に、「インド映画「きっと、うまくいく」は本当に名作中の名作だった」という記事を書きました。

で、映画『PK』はこの「きっと、うまくいく」と同じ監督、主演で製作されたということで、こりゃ観にいくしかねぇ。と思って、観に行ってきたのです。

恵比寿ガーデンプレイスにある映画館。

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おしゃれ気取ってんじゃねぇーよ、と思われるかもですが、都内でこの映画を観るには、

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という限られた選択肢の中でしか選ぶことができません。

どんな映画かといえば、予告をご覧になればわかります。

2013年、日本中に笑いと涙と拍手喝采を巻き起こしたインド映画があった──。その名は、『きっと、うまくいく』。底抜けに爽快な青春映画でありながらも、謎解きのような緻密なストーリー、さらに社会問題にまで鋭くメスを入れた、その驚くべき映画が与えた衝撃は、映画ファンのみならず、各界の著名人にまで飛び火し、それは社会現象となった──。

その監督・主演タッグが、今度は世界中の度肝を抜く映画を誕生させた。その映画の名は『PK』。本国インドでは、既に『きっと、うまくいく』を超える興行収入50億円以上を叩き出し、歴代興行収入No.1記録を樹立。さらにインド映画としては初めて全世界興行収入が100億円を突破。米映画批評サイト「Rotten Tomatoes」では93%(2016.8.17時点)の支持率を得るなど、既に世界中のメディアを唸らせている。

端的にいえば、「宗教問題に関する問題提起を笑いあり涙ありで表現した映画」といった感じでしょうか。

宗教という日本人にとってはあまりしっくりこない分野なので、「ど〜かなぁ〜」と思ったんですが、なかなか面白かったです。「きっと、うまくいく」程面白いかと言われればそんなことはないですが、中途半端な映画を観るくらいなら、こちらをお勧めします。

で、ここからが表題に関するところなんですが、「やっぱ洗脳怖いな」という話です。

誤解を恐れずにいえば、99%、人は何かしらに洗脳されてます。きっと必ず何かしらの部分で洗脳されています。

断りを入れておきますが、別に洗脳が悪いという話ではありません。何か大成するためには洗脳することも大事です。

ただ、よくもわるくも日本人は洗脳されがち。先日ホリエモンがこんなこと言ってました。

「日本にはあらゆるところで洗脳される危険がはびこっている。何ひとつ洗脳にかかっていない人の方が少ない。学校では時代にそぐわない道徳やルールを教え続け、マスコミは偏向した報道を繰り返している。洗脳社会化が進んだ状態だと言える」参照

マスコミを通じたプロパガンダは今現在もありますし、それ以外の部分でもたくさんありますよね。

小さなところで言えば

「何で就職したの?」「・・・え、それ以外あるんですか?」

とかも「新卒就職が当たり前」という立派な洗脳ですよね。

洗脳って、されている側はもちろん気づいていないんで、こうゆうのが一番身近でリアルなやつですね。

こういった、自分にとって何のメリットもない洗脳は当たり前ですが解かなくてはいけません。

多くの良質な情報に触れ、いろいろな人の意見を素直な気持ちで聞き、内省することが大事だと思ってます。内省とは自分と会話することです。

なぜ朝から晩まで働くのか?なぜ好きでもない仕事を何やかんや続けているのか?
なぜ満員電車に嫌々乗りながらも続けているのか?なぜ休日出勤しなきゃいけないのか?
なぜ学校に行かなきゃいけないのか?なぜ就職しなきゃいけないのか?

千原ジュニアさんは中学生の時ずっと「何でみんな学校いくんやろ?」と夜な夜な考えていたそうです。

結局、洗脳は自分自身でしか解き放つことができません。

でも内省をしっかり続けていけばきっといつか変わるはず。

僕が20歳くらいの時に知ったある名言があります。それが、

常識とは18歳までに身につけた偏見のコレクション / アインシュタイン

という言葉。

ま、まさに!と思ったと同時に、深すぎて受け止めきれないほどの言葉でした。

常識というのは、親や兄弟、親戚、学校の先生、友達、部活の先生、塾の先生…そういった周囲の人間の常識でしかない。一歩外に出れば、今までの「常識」は「非常識」である。ということですね。

ん〜〜〜ふかい。(笑)

これ以上は助長になる気がするので、ここらで終わりにします。

ばぁい!

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